無限の虫たちの世界から100年後の地球が見えてくる

昆虫写真家 海野和男氏×昆虫標本作家 福井敬貴氏

地球上の生物の中で最も数が多く、あらゆる環境に適応している虫。特に昆虫類に関しては現在約100万種が確認されており、人を含む哺乳類約4,500種、鳥類1万種と比べて圧倒的な豊富さを誇る。しかも年間3,000種以上の新種が今も発見され続けているという。まさに地球は「虫の惑星」、「未知の領域」が残されているのだ。

この昆虫の世界に魅了され一生を捧げている人々がいる。昆虫写真の第一人者として200冊近い著作を有する海野和男氏と、アートとして昆虫標本を制作している福井敬貴氏。今回はこのお2人から、昆虫の目から見える人間の世界と100年後の人類に問いかける昆虫からのメッセージついてお話を伺った。

海野さんは昆虫写真家として50年以上のキャリアを持ち、第一人者として現在も幅広く活動されています。昆虫の写真集や図鑑、飼育指南書などを含めて200冊近い著作も出版しており、環境問題などを啓蒙にも積極的に取り組まれています。

福井さんは多摩美術大学で彫刻を専攻後、昆虫の世界に魅了され、現在は昆虫標本作家として活躍しています。昆虫標本をアートとして捉え、近年では『とんでもない甲虫 』(2019年幻冬舎 丸山宗利氏と共著)や『BRUTUS 珍奇昆虫 』(2021年、マガジンハウスに協力)などの著作活動、東京ミッドタウン内にある21_21DESIGN SIGHTでの 「虫展 -デザインのお手本-」展にて企画協力と展示標本を担当しています。

 

昆虫を知ることで良い世界が来る

 

―本日は、50歳近い年齢差がありながら、同じ「虫」の世界で活躍されている2人に昆虫の世界の魅力と、100年後の人類に対して私たちが何を残せるのかをテーマに語っていただきたいです。まず、昆虫の世界の魅力を知らない読者に対して、2人が虫のどこに魅了されてきたのかからお伺いします。

 

海野:私はとにかく昆虫が好きで、より多くの人に昆虫の魅力に気づいてほしいと思って活動してきました。特に次世代を担う子供たちに。皆が虫のことに興味を持てば、より良い世界の在り方が見えてくる。皆が幸せになれる世界が、すぐそこにあるのです。

 

福井:確かに私も昆虫を学ぶことで新しい世界が広がりました。昆虫たちの世界に興味を持つ人が1人でも増えていけば、世界はより良い世界になっていくと思います。私の作った標本がその入り口になってくれたら光栄です。純粋に「虫って面白い!」と多くの人が思ってくれるのが一番嬉しいですね。

 

海野:私も自分が撮った写真を見て、「虫って凄いな」「面白いな」と興味を持ってくれるだけでも嬉しい。なぜなら、自分自身が常にそう思ってるから(笑)。虫の世界には、世の中の全ての要素が詰まってるんじゃないかと思う。だから、虫が好きな人がもっと増えてくれたら、いま、世の中で起きていることの本当の意味、未来がどうなっていくか、どうあるべきか、という示唆も見えてくるのではないかと思うのです。

 

昆虫は自然が生み出した芸術

―昆虫の世界を知ることでさまざまな世界が拓けるとのことですが、理由についてもう少し深堀りしたいです。福井さんは昆虫をアートとして見るようになったきっかけは。

 

福井:昆虫の無限の多様性と、その造形美に魅了されたからです。虫は生息環境や地理的な分断などが要因となり、非常に多くの種類に分かれ、さまざまな色・形がある。例えばカタゾウムシなどは飛べないので移動能力が低く、山や谷を1つ隔てただけで違う種になります。不思議なのは個々の種類が異なる色や模様の多様性を持っていること。なぜこんなに違ってくのか分からない。それが虫の面白いところですね。

 

―今日は『BRUTUS 珍奇昆虫 』に掲載された、そのカタゾウカミキリ(カタゾウムシに擬態するカミキリムシ)を含むカタゾウムシの標本作品をお持ちいただきましたが、福井さんはその標本作品で、カタゾウムシの標本を系統樹のように配置しています。カタゾウムシの造形美や多様性の神秘、繊細な模様の違いを感じ取ることができました。

系統樹のように脈々と繋がる生命の多様性。カタゾウムシの標本作品。

 

福井:ありがとうございます。カタゾウムシの種類によって微妙に異なる模様の繋がりや個体変異によるバリエーションを感じてもらえるように配置してみました。

 

海野:なんで一山違うだけでこんなに派手な色に変わってしまうのか、全く分からない。しかしそれが面白い。まるで螺鈿細工みたいな美しい姿をしていますね。こういう自然が生み出した美が昆虫の魅力です。私も作品を作っているという気持ちは全く無くて、ただ虫の良いところを引き出そうという気持ちで写真を撮っています。単に自然をコピーしているだけ。虫そのものが綺麗だから写真を撮っているのですね。

 

福井:私は高校生の頃、最初は絵を描いていたのですが、だんだん絵がつまらなくなってきて、立体物を作ってみようと思っていた時に彫刻家の佐藤正和重孝さんに出会った。佐藤さんは甲虫のフォルムに魅かれ、石材やブロンズで甲虫を彫刻している方です。それで甲虫を「自然の彫刻」として見るようになった。昆虫の持つアート性に気づいたのです。

 

進化の中で生まれた昆虫の無限の多様性

―福井さんから多様性という言葉がありましたが、地球上に約100万種類いるともいわれる昆虫の多様性も大きな魅力の1つだと思います。

 

海野:確かに昆虫の多様性は面白い。私も昔、大昆虫記という本を作った時に、和名がないので2,500 種類くらいの昆虫に名前を付けましたが、後から調べると、その本ができた時には本当に未発見の虫も多く含まれていました。まだまだ知られていない昆虫も多いのです。

 

福井:虫の世界の魅力は限りが無いことです。その広がりを楽しんでもらいたい。いくら調べても新しい昆虫が出てくる。全部の昆虫を見たいと思っても見きれるものではありません。それに探求心がくすぐられて、楽しい。

 

海野:そして昆虫の多様性は環境の変化に関わらず、様々な要因で広がり続けている。私は以前ミイロタテハという蝶々を人工的に交配して簡単に新しい標本を作っている人を見たことがあります。ミイロタテハは5種類か9種類くらいしか元々無いのですが、全く別種に見えるものが500くらいいる。そのように今でも進化を続けている昆虫もいるのです。

 

福井:昆虫は見ているとキリがないというか、いくら調べてもまた新しい種類が出てきます。あまりに多くて、もう全部見たいとか思えるレベルではないですね(笑)。

 

海野:そこが面白い。次にどんなものと出会えるか、わからない。それだけ未知の領域があること。その色や形の不思議さ。それが昆虫の最大の魅力だと思う。

 

福井:確かにそうですね。それが1番の好奇心がくすぐられるところですね。

 

昆虫の環境を100年後も残さなくてはならない

―環境の変化や交配などにより多様化してきた昆虫ですが、海野さんは以前から昆虫の生きる自然環境の保全を訴えています。100年後に向けて地球環境問題は人類の責務だと思います。

 

海野:人類の活動によって環境が変化し、100年後には標本だけ残っていて、もうこの昆虫は絶滅した、というのは寂しいですね。100年後の人に「昔はこういう綺麗な虫がいたんだ」と思われるのではなく、100年後でも見たい時に見ることができる、行けば実際に生きている姿が見えるように環境を保存していかなければなりません。

 

私は以前、A.R.ウォレス(1823~1913年。イギリスの博物学者、生物学者、地理学者。標本採集家としても知られる)に憧れて、彼のインドネシアでの足跡を訪ねる旅をしたことがあります。彼が過ごしたテルナテ島には当時建てられた家が残っていて、ウォレスが暮らしていた時代を感じることができました。テルナテ島に最後に行ったのは1990年でしたが、いまそこをインターネットで見るとすっかり様変わりしていて、全部携帯電話の看板で埋め尽くされていましたね。

 

福井:日本でカブトムシやクワガタムシの飼育がブームになり、大きな個体の需要が高まった結果、自然界ではありえない大きさのものが育てることができるようになりました。オオクワガタなど野生だとせいぜい7㎝ほどなのですが、9㎝のオオクワガタも出てきた。人間だったら超巨人のクラスです。そしてそれが野に放たれて、野生のものと交雑してしまい、地域固有の遺伝情報が汚染される問題が起きています。

海野:外国産の大型の種類が日本の山野に放たれて、日本の固有種と交配する問題も生まれている。自然界の長い時間の中でゆっくりと変化してきた虫たちの世界が、人間の介入によって急激に変化しつつあります。

 

福井:昆虫には表面の色ではなく、その構造に光が反射して生まれる「構造色」という色があります。「構造色」は適切に処理をすれば100年でも退色せずに残ります。しっかり処理された標本は、採取されてから100年を経ても、生きていた時と同じ色を私たちに見せてくれる。環境も同じで、ちゃんと保存し100年先まで残していくことが大切だと思います。

 

「虫って面白い!」と知ってもらいたい

―続いて人間科学的な側面から、2人は100年後の人間にどのようなことを伝えたいでしょうか?

 

海野:著名な学者やノーベル賞を受賞した科学者には昆虫が好きな人が多いと聞きます。昆虫にはいくら分類しても分からない奥深さがある。そこにサイエンスが探求する本質がある。だからどうにかして共通点を探し出そうとする行為が脳の体操、トレーニングになるからではないかと思います。それに昆虫を知れば、悪い人間にはならないと思っています(笑)。

昆虫写真家・海野和男氏のオフィスは、大学の研究室さながらの探求心の変遷が伺える佇まい

 

―昆虫が好奇心を刺激し、それが探求心や向学心の発達に繋がると。

 

福井:科学者に限らず、一般の方でも昆虫を調べたり見たりすることだけでも楽しいですから、昆虫を学ぶと日々の暮らしが豊かになるのではないかと思います。

 

海野:そうですね。昆虫だって人間と同じ生き物ですから、やっぱり学ぶべき点・教えてもらう点は多い。私は昆虫が好きになったおかげで女の人を好きになることもできましたから(笑)。ちゃんと生活ができるようになったのも昆虫好きを続けたからです。もし昆虫が好きじゃなかったらいまの人生はありません。

 

好きなことを仕事にする

―昆虫が好きなことが人生を変えた、という点からお2人が歩んできた道と、それをどう職業に繋げたかについてお伺いします。海野さんは子供の時から昆虫が好きだったのでしょうか。

 

海野:子供の頃からずっと大好きでした。子供の時は特に蝶々が好きだった。あとゾウムシも好きでしたね。ゾウムシはカッコいい。

 

実は本格的に虫の道に進むきっかけになったのは、ある歯医者さんの影響が大きい。その人は私の母が通っていた歯医者の先生で宮川澄昭さんといいます。宮川さんも昆虫が好きで、歯医者に行きたくなかった私をどうにか歯医者に通わせようと、母が宮川さんにお願いしたら「私のところに連れてきなさい」と言ってくれた。宮川さんは私が行く日には後の予約を入れず、ずっと私と虫の話をしてくれました。そのうち診察時間の最後に来なさいと言われ、夕飯にお寿司をご馳走してくれて2、3時間2人で虫談義をしていました。その関係が、私は東京農工大学に入学してからも続きましたね。

 

東京農工大学で私の師匠になった日高敏隆先生(1930年~2009年。動物行動学者。のち京都大学名誉教授、総合地球環境学研究所名誉教授)との出会いも宮川さんに関係があります。

 

私が宮川さんと出会う以前、ある時宮川さんがアオスジアゲハの幼虫を探している少年を見かけて、後ろから「アオスジアゲハかい?」と話しかけた。それが少年時代の日高先生だったそうなのです。

 

―運命的な出会いですね。

 

海野:宮川さんはよく私に日高先生の話をしてくれました。私が高校時代に、宮川さんの家で初めて日高先生とお会いしたのですが、当時日高先生は東京農工大学の助教授になったばかりだった。それで私も東京農工大学に進もうと思ったのです。大学時代は昆虫採集と撮影に明け暮れていました。最初は昆虫学者になろうとも考えたのですが、あまり勉強が好きでもなかったし、昆虫学者になっても昆虫だけ研究することはできない様子でしたから止めました。それで昆虫写真家になろうと思った。

 

―昆虫好きというのはお伺いしていましたが、カメラもずっと好きだったのでしょうか。

 

海野:そうでしたね。家に古いカメラがあって、それを使って小学1年生の頃から写真を撮っていました。ただ当時のカメラは撮影距離が固定されていたので接写で虫を撮ることなんてできなかった。ですから最初は人や風景を撮っていました。

 

―小さい頃から虫とカメラが好きだったのですから、昆虫写真家という仕事はまさに天職だったのですね。

 

海野:ええ。だから仕事で辛いと思ったことは一度もありません。虫が好きでカメラが好きで、それでお金を貰えているのですからこんなに良い仕事は無いと思います。そして私が見たい、撮りたいと思ったものを支持してくれる人がいてくれたので今まで生きてこられました。もちろん、やりたい仕事だけやってきたわけではありません。例えば本については自分がもの凄く作りたいと思えるほどの本を作ったことはないですね。最近出した昆虫の絵本は日本では出版が叶いそうになかったのでマレーシアで出しました。

 

―好きというだけではなく、ビジネスとしてすり合わせていくことも必要ということですね。福井さんも子供の頃から虫がお好きだったのですか?

 

福井:はい。私も小さい頃は昆虫学者になりたいと思っていたのですが、勉強よりも美術が好きだったので多摩美術大学に入りました。それから自分の作品を作るためのモチーフとして昆虫標本を集めていて、その中で展足(昆虫を標本にするために手足を広げ、ツノやヒゲ、羽などを整えること。福井氏の展足技術は研究者の間で高く評価されている)の作業をするようになりました。どうやったら虫を美しく見せられるかを工夫しながら展足し、標本作りをしているうちに私の技術が多くの人から注目されて、標本作家として仕事ができるようになった。

 

―2人とも、子供の頃からの夢と現実の職業を繋げることができた。

 

海野:子供の頃、虫が好きだと言うと馬鹿にされることがあります。私も「なんで海野さんは虫の写真ばかり撮っているのですか?」と言われたことがある。それがいまは変わってきて、虫好きが世に認められてきているのではないでしょうか。

 

最近では尾園暁さんというトンボや金魚の写真を撮る方がいらっしゃいます。彼のような若い世代が昆虫写真の世界を広げていってくれると嬉しいですね。私が若かった時はどうやって食べていくかしか考えていませんでしたから(笑)。だから若い世代にはどんどん夢を追いかけていってもらいたい。

 

私にもアレキサンドラトリバネアゲハをこの目で見たいという夢があります。2020年にテレビの企画で撮影に行くことになっていたのですがコロナ禍のために中止になってしまった。私もまだ子供の頃に憧れた虫を全部見てみたい、その想いを保ったまま仕事をしています。

 

虫を知ると100年後の地球が見える

宝石箱のような標本箱。そこには様々な生物を乗せた地球の姿が重なる

 

―今回、アート、地球環境、人間科学そして子供の頃からの「好き」という想いを職業にすることについてお話を伺ってきました。昆虫の無限の世界に秘められた芸術性や地球環境への警告、そしてその底知れぬ不思議さに触れることによって刺激される知的好奇心をうかがい知ることができたと思います。

 

最後に100年後の人たちにメッセージをお願いします。

 

海野:昆虫たちの暮らす環境を守っていくことは元より、今後は世界中の博物館が収蔵している昆虫標本を網羅する写真付きのデータベースができたら楽しいですね。家にいながらネットを通して世界中の昆虫たちをバーチャルに見ることができるようになれば、もっと多くの人が昆虫の魅力に気づいてくれるようになる。

 

福井:それで虫に興味を持ってもらえたら嬉しいです。虫は世間一般で気持ち悪いと思われているのが勿体ないと思っています。「こんなに面白いものはない」と私は思っているのに(笑)。

 

海野:同じ生物として、学ぶべき点も多いですから。そして標本も良いですが、やっぱり生きている虫を見てほしい。

 

福井:私も海野さんも、虫の持つ多様性や色・形に魅せられている。そういう何百万種類の生物を地球は抱えているのだと。

 

海野:私が面白いと思う昆虫標本は1つの箱の中にたくさんの種類が色とりどりに入っているものです。宝石箱のようなその標本箱が、様々な生物を乗せた地球の姿のように感じます。その無限の世界を多くの人に知ってもらいたいですね。

 

―海野さん、福井さん、お二人の対談をお聞きして、虫の世界の奥深さに魅了されました。本日はありがとうございました。

海野 和男

1947年生まれ。東京農工大学の日高敏隆研究室で動物行動学を学ぶ。その後昆虫写真家として写真集、図鑑、子供向け書籍など200冊近い書籍を出版。1990年から豊かな自然が残る長野県小諸市に惹かれ、アトリエを構えている。

福井 敬貴

1994年生まれ。多摩美術大学修了。在学中から手掛けてきた昆虫標本の展足技術が高く評価され、コレクターや研究者から依頼が殺到。年間数千頭の標本を展足している。また昆虫をテーマにしたアート作品も数多く発表している。