人類の進化へ、「種」のポテンシャルを拡張せよ

株式会社ウィズグループ代表取締役 奥田浩美

 奥田さんは、未来から来たことを公言する女性だ。肩書も多様。さまざまなビッグイベントを日本で開催してきた人物で、人呼んで「IT界の女帝」。ほかにも内閣府をはじめ中央省庁で委員をしたり、経済団体で評議員をしたり。はたまたスタートアップや地方自治体のコンソーシアムの顧問やアドバイザなど、全部合わせると、実に45もの肩書きを持っているそう。でも、奥田さんの魅力はそこではない。

 

 過疎化が進む村でお婆ちゃんを前にしている奥田さん。学生数人と膝を突き合わせての車座の会議に参加している奥田さん。何百人の前で講演している奥田さん。中央省庁の委員会でお偉い人たちの前で意見を述べている奥田さん。多分全部同じ。時には真剣な眼差しで、時には屈託のない笑顔で、対峙する者の認識を拡張するような気づきを口にして「場」を整えてくれる。それが奥田さんだ。

 

 誰に対しても偉ぶらない。飾らない。そして、こちらの全てを受容してくれる。会えば誰しもがファンになる。未来にだってこんな人はなかなか出てこないだろう。

 取材中、気づけばむき出しの自分がいた。でも、それがまた心地よく、奥田さんからお預かりした一つひとつの言葉を反芻しながら帰路につきましたとさ。

 

 

奥田 浩美(おくだ・ひろみ)

株式会社ウィズグループ代表取締役
一般社団法人ヘルス・アンド・ウェルビーイング・アライアンス 代表理事ムンバイ大学(在学時:インド国立ボンベイ大学) 大学院社会福祉課程修了。1991年にIT特化のカンファレンス事業を起業。2001年に株式会社ウィズグループを設立。2008年よりスタートアップ育成支援に乗り出し、スタートアップエコシステムビルダーとしての活動を開始。2013年には過疎地に「株式会社たからのやま」を創業。地域の社会課題×ITで何ができるかを検証する事業を開始。地域の社会課題の現場に身を置くワークショップ活動「破壊の学校」も行っている。 2020年に一般社団法人ヘルス・アンド・ウェルビーイング・アライアンス(HAWA)を設立し、ウェルビーイングのビジネス・インキュベーション・プログラムの「WOMB(ウーム)」を展開中。各種委員:環境省「環境スタートアップ大賞」審査委員長、経済産業省「未踏IT人材発掘・育成事業」審査委員、厚生労働省「医療系ベンチャー振興推進会議」委員 他多数、著書:『会社を辞めないという選択』(日経BP社)、『人生は見切り発車でうまくいく(総合法令出版)』、『ワクワクすることだけ、やればいい!』(PHP出版)

 


45の肩書、オープンマインドの原点


「端から端までを生きよう」世界の反復横跳びで上がる経験値

デンマークの介護の先端に触れるための視察(撮影:Masahiro A Honda)

 

―並外れた経験値から導かれる直感なのですね。確かに、鹿児島に生まれ、インドの大学院で学び、社会人になって今度はITの世界で起業され……聞くからに密度の濃い人生です

 

 

 密度でいうと、300歳分くらいは生きている気がします。とにかく好奇心が旺盛で、「端から端までを生きよう」と思っています。この考え方は見聞を深めるのにおススメですよ。

 

 例えば、鹿児島県の肝付町(きもつきちょう)という田舎で、おじいちゃんおばあちゃんたちと介護とITの実証実験で過ごした次の月は、意識的にそこから遠くかけ離れた環境に行くんです。実際にエストニアやデンマークに行ったり、徳島の田舎にいたかと思えば、次はパリのアルデバランロボティクス社(現 アルデバラン社)に行ったり。振り幅を意識的に大きく持たせることで、経験値が上がっていくんです。

 例えば、私は2015年にパリ同時多発テロに巻き込まれたのですが、それはそれで、経験値が上がるんですよ。

 

 

―どういうことですか?

 

 生きるか死ぬか、一つひとつの選択を間違えると死ぬぞ! みたいな瞬間に立ち会うと、感性が研ぎ澄まされていくというか。人間って面白いのが、ものすごい危機の渦中にあると、時間軸が変わるんです。

 

 テロの時は、町中でけたたましいサイレンが鳴り響いていました。部屋の窓近くに立った時に、カーテン1枚を開けるべきか閉めるべきか。眠ったほうがいいのか起きたまま情報を入れ続けたほうがいいのか、日常ではいちいち考えもしないような一挙一動について、あの晩はすごいスピードで次々と決断を迫られたんです。一夜にして思考のスピードが急激に加速しました。

 こんなふうに反復横跳びで端から端を生きていると、経験値が上がります。娘と一緒にアメリカ大陸を旅行していた時には、娘がナバホ族の長老に「ここで一生女王として暮らせ」と言われたこともありました(笑)

 

 娘は雨女で、ナバホ族が住む砂漠を訪れた時に、何の力か、奇跡的に雨が降ってきたんですよ。「娘は日本で雨女って言われているんだ」と話をしたら、雨が貴重なその地域に「女王」として迎えたいという話になったわけです。「雨女といった気軽に発した言葉も、ここに来たらリアルな価値を持つのか!」と、娘と笑い合いました。

 インドにいた時代も、日本の価値観ではおよそ測れないような社会を経験しましたね。私がムンバイ大学(在学時:インド国立ボンベイ大学)に留学していた1987年当時は、まだ「サティ」という風習が残っていました。寡婦が亡夫の火葬の火で殉死する社会的風習です。

 よく「死ぬ気になれば何でもできる」というけれど、その社会では具体的に女性が火あぶりにされる現実があった。そんな時代をリアルに感じていたから、帰国した時、(私は)男女雇用機会均等法の一期生で、女性にとって大変な世の中ではあったけれど、私は「火あぶりにされなければいいか」くらいに考えることができるようになりました。