分散型社会の持続可能な街づくり-鉄道資本主義から脱却せよ-

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授・柳瀬 博一

テクノロジーの進歩により「分散化」の自由を手に入れつつある人類。生物(いきもの)として気持ちよく暮らせる世界のデザインが可能になるなか、「分散型社会」を機能させる有形・無形の「共有地(コモンズ)」の合意形成や「新たな共同体」づくりが課題となっている。

 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一さんは、パラダイムシフトをもたらす日本再生のシナリオとして、「鉄道資本主義・東京中心主義」からの脱却を提唱する。「分散型社会」をベースにした持続可能な街づくり、そして日本再生のシナリオとは? 柳瀬さんに伺いました。

 

柳瀬 博一(やなせ・ひろいち)

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現 日経BP社)に入社し「日経ビジネス」記者を経て単行本の編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネスオンライン」立ち上げに参画、のちに同企画プロデューサー。TBSラジオ、ラジオNIKKEI、渋谷のラジオでパーソナリティとしても活動。2018年3月、日経BP社を退社、同4月より現職に。著書に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著、晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著、ちくまプリマー新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著、日経BP社)。2020年11月に『国道16号線』(新潮社)、2022年8月に『親父の納棺』(幻冬舎)を刊行。

  

100年後に変わるもの、残るもの

―本書のテーマは「100年後の人類へのメッセージ」です。柳瀬さんは、100年後の社会はどのようになっているとお考えですか?

 

 人類の歴史上、100年は誤差のレベルです。1923年(大正12年)に関東大震災が起きた頃と比較すると、自動車、電気、水道などさまざまなインフラは普及し、テレビなどのマスメディアは発達しましたが、住宅の形、街の構造など、暮らしの営みのベースは現在と連続しています。この50年ほどを眺めると、ファッションはたいして変わっていないのです。

 

 インターネットやSNSが普及しても、心理的コミュニティ(本当に仲良くなれる人間の数)は、イギリスの進化生物学者ロビン・ダンパーが提唱する約150人という規模感に大きな変化はありません。100年足らずでは2世代か3世代しか世代交代しませんので、生き物として進化しているわけがありません。

 

 自然も大きく変わっていません。地形は、人類が世界に広がってから、扱われ方は変わりましたが、自然はほとんど変わっていないのです。著書「国道16号線: 『日本』を創った道」(新潮社)でも紹介しましたが、日本の地形は2~3万年前から変化がないのです。

 

 1963年にできた国道16号線は、面白いことに日本の古くからある地形に沿って発達した日本人の営みをつなぐように、普請されています。

 

 縄文時代、東京の低地は海でした。水辺の近くの住みやすい高台に縄文人たちは暮らし、生活していました。国道16号線は、そんな海沿いの丘陵地や台地の縁を走り、尾根を通り、数多くの遺跡や貝塚や城をかすめて通っています。

 

 自然、私たちの身体、生き物としての要素が濃い部分については、たかだか100年で大きな変化は起きません。

 

 では何が変わるか。それは文明です。とりわけテクノロジーです。

 

 人類史をみると、テクノロジーは、「よりラクに、より幸せに、より美味しく」という方向に変化を推し進める傾向があります。科学技術の発展は、途中にいろいろ紆余曲折や事故もありますが、巨視的に眺めると、エネルギーはよりクリーンに、生活はよりロスのないものへ、という具合に、よりたくさんの人たちが持続可能なかたちで生活できるよう発展してきました。これは今後も変わらないと思います。

 

日本再生の道標 データを見ろ、 メディアに惑わされるな

 

著書「国道16号線:『日本』を創った道(新潮社)

首都圏をぐるり330キロ。日本史上、常に重要な地域であり続けた「道」と「地形」で読み解く文明論。

 

―テクノロジーの発展をよそに、日本は過去約30年間、停滞期にあります。好転する可能性はあるのでしょうか?

 

 これから伸びるかもしれないし、もっと停滞するかもしれない。経済の浮き沈みは結果論ですので、正直それは分からないですね。

 

 分からないことを考えるときに重要なのが、分かる事実を土台にして考えることです。つまり、データとファクトを見ること。案外、私たちはすぐにアクセスできるデータを見ない。すでに出来上がったイメージに惑わされ、ある側面だけを切り取った描き方に引きずられたりします。

 

 国道16号線沿いのエリアは、「黄昏のエリア」という描かれ方をすることがありました。2000年代の人口減少や都市集中、高齢化、郊外の過疎化といった一側面「だけ」を切り取ったイメージです。一面事実ではありますが、真実ではない。

 

 たとえば人口動態データを見ると、2010年以降、16号線沿いには0~14歳の人口が増えています。つまり子育て世代が積極的に住むようになっている。東京23区はこの世代に関してはずっとマイナスです。教育や住環境に関して「都心よりも16号線沿いのほうが良い」として移り住む人が多い。にも関わらず、人々は、メディアが作った「郊外は過疎化」というイメージを信じ込んでしまう。

 

 「若者の車離れ」もそうです。実は日本の自動車普及率が上がったのは1990年代のバブル崩壊以降。そして、一度も台数ベースでマイナスに転じたことはありません。鉄道時代が完全にピークアウトして、現実はモータリゼーションの世界であるのに、メディアも行政もいまだに「若者の車離れ」を叫んでいます。でもそれは、日本のごく一部、都心中心部だけの話です。

 

 たとえば「鉄道中心の世界で暮らせる人」の数は、首都圏や京阪神の中心部などを足して、かなり多めに見積もって概ね3,000万人程度です。逆に言えば、8,000万人は、自動車がないと不便な場所に暮らしている。小売店の業態をみても、鉄道でアクセスする百貨店よりも、自動車が必要な郊外店のほうが明らかに伸びています。小売業の売上高ランキングは、2000年代はずっとショッピングモール、コンビニエンスストア、ドラッグストア、量販店など自動車でアクセスする業態が上位を占め、都市型の百貨店の多くが衰退しています。

 

 国内の自動車保有台数は、1967年に1,000万台でした。「サニー」「カローラ」が発売された年です。実際は、1990年代、バブル崩壊後のほうが伸びているにも関わらず、なんとなく1967年が「モータリゼーション」のピークというイメージが残っています。

 

 鉄道だけで生活できる場所など都心部だけで、東京に住む若者たちは車を「持たない」のではなく、物価も地価も高いから「持てない」。そんな東京の現状だけを見て、メディアも行政も「若者の車離れ」と言っている。完全に見誤っています。

 

 東京の街が標準だと思っていると、大間違いです。東京中心主義である限り、日本の未来はおぼつかない。世界標準でみると、東京は極めて特異な街ですよ。なぜなら、こんなにも鉄道資本主義が発達した街は他にないからです。

 

 みなさんは、地図といえば何を思い浮かべますか。「住所地図」「鉄道駅地図」、「道路地図」、そして実は「地形地図」があります。この「地形地図」を無視すると、街づくりを見誤ります。

 

 東京の人々は、鉄道地図は頭にあるかもしれませんが、ともすると道路地図すら考えない。それくらい、鉄道の世界で暮らしています。

 

 過去120年程の間に日本で起きた大きな革命があるとすれば、鉄道が生み出した「都市生活」です。東京は鉄道が異様に発達し、中心に向かって人が動く。中央集権型の街の構造も、日本の権力装置も、鉄道によって生み出されました。だからこそ我々は、東京中心主義を巨大な幻想として持ち続けているのです。