地球を100年後までもたせるために必要なのは「ニュータイプ」の人類

アニメ監督富野由悠季×彫刻家佐藤正和重孝対談

アニメ監督富野由悠季さんは未来の世界を我々に示し続けてくれた人だ。富野さんは1979年にアニメ『機動戦士ガンダム』を生み出し、その後も『伝説巨神イデオン』『聖戦士ダンバイン』など数々の傑作を世に送り出してきた。近年も劇場用アニメーション映画『 Gのレコンギスタ』五部作を完成させるなど、今なお意欲的に創作活動をしている。
「スペースコロニー」「スペースノイド」「ニュータイプ」といった言葉を用いて我々に未来の人類像を示してくれた富野さんが「注目している」と話す芸術家が、彫刻家佐藤正和重孝さんだ。甲虫などの昆虫をモチーフにする彼の彫刻作品には養老孟司さんをはじめ多くのファンがいるが、富野さんもその1人。「佐藤さんの作品を見る時、初めてガンダムを見た子供と同じ気分になる」と語る。今回、富野さんと佐藤さんの対談をお届けするが、対談は予定時間を遥かに超え、また濃密なものになった。脱成長・環境破壊・ウクライナ戦争……。多岐にわたる論点から浮かび上がってきたのは、人類が「ニュータイプ」にならなければ地球がもたない時が来ているという現実だ。では「ニュータイプ」とは何なのか?どうすればそこに辿り着くことができるのか?2人の対談の先にその答えが見えてくる。



地球レベルの時間で考えられる仕事


富野:今日はよろしくお願いします。早速ですがまず佐藤さんに伺いたいのは「この21世紀に石を削って彫刻家をやっているのはどういうつもり?」ということです(笑)。

佐藤:(笑)。今回の対談テーマである「100年後どういう世界になっているか?」という問いに即して応えると、地球レベル・文明レベルの時間を感じられる仕事だからです。100年の時間は人間から見れば一生分ですが、地球の歴史で考えれば僅かな時間です。化石は数億年かけて作られますし、古代文明だって数千年単位。私が学生の時、彫刻の先生に「今あなたが割った石の表面は数億年ぶりに空気に触れた面だよ」と言われたのを憶えています。私も若かったので、それを真に受けて「自分はその瞬間を目の当たりにしている」と感じました。以来30年彫刻を作り続けているのですが、その時の感動が今も心に残っていて、この彫刻は人の一生を超えて残り続けるのだ、と思いながら石を削っています。数千年、数億年という時間を感じながら石に向かっているのですが、そこに畏怖を感じつつまた同時に心地良さも感じていますね。

富野:それを心地良いと感じられるのは凄いですね。目の前の仕事をしながら数億年単位の時間をポンと飛び越えられて、それを気持ちいいと感じられる人はそんなにいないでしょうから。
この感覚は現代デジタル社会の中で知識を身につけてきた30代40代の人にはないのではないでしょうか。彼らは日々進歩するデジタル社会の中で「技術を更新させること」で偉ぶっています。それが人類の進歩に貢献していると彼ら自身は感じているのかもしれませんが、それはただのコンピューターワード、プログラミングとしての巧妙さでしかなく、そこに数億年の時間を突破する感覚はない。つまり生体感がない、と言いきれます。

佐藤さんが石を見つめる中で培ってきた感覚はフィールドワークをしている人々が持っている感覚と近いと思うのですが、それがデジタル系の人にはないんですよ。だからぼくはよく「理科系の人が言っていることは信用するな」と話しています。彼らは進歩や進化を一直線にしか考えていませんから。


その最たるものがSNSでしょう。世界中の人と簡単に情報のやりとりができて意見を言い合うことができるようになった。しかしその結果何が起こったか。人類全体の知識レベルが上がったなんてことはなく、ただヘイトとフェイクニュース、ポルノだけが蔓延しているのが現実です。こういう道具を人類が使ってはいけない、という局面まできていると思います。しかしその警鐘を今の大人や老人たちが唱えていますか?全くしていません。特に若者を諫めるべき老人たちは「若い奴がやっていることは分からない」と黙ってしまっています。
今も続くウクライナ戦争にしてもそうです。明らかに必然の戦争ではないのにそれを止めるべき人が意見を言わなくなっています。戦争後も人類は生き抜いていかなくてはなりません。そのためにどうするべきかを考えた時に、数億年・数千年単位で考えられる意識は大事なんです。未来の人々が良い、と感じてくれる彫刻は財産になりますし、それを仕事としていけるのは良いことです。

佐藤:しかし私自身も彫刻を仕事にしながら現代に危惧を感じるところがあります。例えば私は毎日コーヒーを飲んで、ほっとしたり美味しいと感じています。毎日飲み続けたい。しかしこのコーヒーを作るために原生林が伐採されている、とふと思いを巡らす時があります。私は世界中のクワガタの標本が欲しいのですが、今標本は値上がりを続けています。それはクワガタが生息する原生林がコーヒー畑やパーム油の生産地にされて、クワガタの数が減っているからです。その現状を考えるとほっとして飲めなくなってしまいました。

富野:原生林が伐採され商品作物の生産地にされることで気候変動が誘発されるし、温室効果ガスによる地球規模の温暖化にも繋がる。近年あちこちで尋常でない洪水や山火事が起こっています。我々が生きるためには食べなくてはなりませんが、今の生活を続けていたらあと50年も地球がもたない、という状況に来ています。しかし政治家がそれに対処する方法を考えているでしょうか。戦争やテロに備えて防衛費を上げよう、という議論はされてもクワガタの生息地を守るために予算を組もう、とはならない。
だからこそ、佐藤さんのような彫刻家が今の日本で仕事をしていることに興味を感じるのです。

「アニメの仕事をしていると便利なもので、どんなに世の中や政治家の悪口を言っても『これはアニメの話だから』とすること。ができる(笑)」(富野)。©創通・サンライズ



「アート」を持つ人に政治を任せてみる



―100年後に人類が生きていくためにはどうすればよいのでしょうか?技術の進歩だけでは解決できないのでしょうか。

富野:人間が種としてレベルを上げていくためには20世紀までの考え方では不可能でしょうね。例えば政治家も20世紀までの「政治的な政治家」では問題を解決できないからです。ではどうするべきか。ギレン(註1)ならこういうかもしれません「人類が革新するためには新しい才能を持った人々に『政治家化』してもらわなければならない」と。
それは社会学者や芸術家のような人なのかもしれませんね。例えば佐藤さんのような。

(註1 ギレン……富野さんが総監督を務めるアニメーション作品『機動戦士ガンダム』に登場する独裁者ギレン・ザビ。「ニュータイプ」を人類の革新と説き、地球連邦政府に宣戦布告。地球人類の半数を死に至らしめながら「せっかく減った人口です。これ以上増やさずに優良な人種だけを残す」とうそぶく人物)

佐藤:私ですか(笑)。

富野:だって昆虫は地球でもっとも数が多く、あらゆる環境で暮らせるように進化してきた、生物の頂点にいる種族でしょう。それに今後人類の食糧危機が切迫してきたら昆虫を食べなくてはならないという問題も眼前に迫っています。そこに佐藤さんのような方が現れてきたのは偶然ではないと思います。

「芸術家が政治家になったら大変なことになりそう(笑)」(佐藤)

佐藤:私が政治家になったら、すぐにかっとなってアクシズ(註2)を落としたくなってしまいますよ(笑)。
政治について私が気になるのは、政治家の方々が皆、人口減少への対策に重点を置いていることです。しかし自然に人口が減るのならそれは良いことなのではないでしょうか。人口が爆発して食料が無くなり、人類が飢えに苦しむことが目に見えているのに何で人口減少を心配するのだろう、と感じています。

(註2 アクシズ……劇場用アニメーション映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に登場する小惑星。ネオ・ジオン軍の総帥となったシャア・アズナブルが地球人類を粛清するために地球に落下させようとする)

富野:ぼくはDNAには予知能力があると思っています。例えば多くの先進国では人口が減少していますが、そもそもの人口が過密状態だった日本も、この国土に1億人は過剰です。それをDNAレベルで察知したから自然に人口減少が始まっているんです。「人口を増加させないと日本は滅びる!」と叫ぶ人がいますが、日本が明治維新の頃、まだ自給自足でやっていけていた頃の人口は3480万人でした(明治5年。内閣府調べ)。それだけしか人がいないのに日本には数百の藩があってそれぞれ成り立っていたんですよ。
現在、少子化対策担当大臣という役職がありますが、何も結果を出していない。人口減少を止められていませんから。しかし視点を変えて、DNAの指示で人口が減っていっているのだから人口増加を諦めて、今後少子化によって起こりうる社会的な軋轢、例えば1億人のために造られたインフラを必要な部分を残してどう縮小していくか、などの対策をやるための少子化対策担当大臣なら必要になるわけです。
しかしこういう考え方は政治家や経済人には思いつかない。だから芸術家に「政治家化」してもらわなくてはならない。

佐藤:アートの世界で生きている人に政治ができるのでしょうか?責任をとらなかったり、感情的で、すぐにかっとなったりしそうです。

富野:だからガバナンス・統治の時には冷静になってもらいたいのです。それができれば、20世紀的な「アート」を持たない政治家とは全く違う政治の道を示すことができるようになれるでしょう。では統治とは何か?それは大衆とか国民、古い言い方で言えば「民草」が皆で暮らしていけるにはどうするかを考えること。それだけです。
しかし今のショー化した、人気取りになった民主主義では「アート」を持つ人たちが選ばれるのは難しいでしょう。だから民主主義体制そのものを「政治家化」していく必要もあると言うのです。このあたりも手を付けていかないと世の中は変っていかないですね。

佐藤:今は中国の人口も減少傾向に移り、アフリカも数十年後には頭打ちになると予想されています。2050年に世界人口は100億人を突破しますが、その後は頭打ちになって減少する。まさにDNAが地球が支えられる人口の限界を察知しているかのようです。

富野:そこまでをどう耐え忍ぶか考えた時、今後50年はものすごく厳しい時代になるわけです。だから政治家には本当に巧妙に働いてもらわなければならないんですよ。場合によってはコンビニエンスストアの廃止、食料の配給制といった思い切った施策も必要になるかもしれない。国家のトップに立つ政治家にそれができる人がなるだけでなく、それを受け入れられる国民のレベルにならなくてはいけないんですけどね。

「佐藤さんはこれから選挙に出て」(富野)、「一番やっちゃいけない」(佐藤)


「ニュータイプ」にならねば地球が滅ぶ


佐藤:私は常々人類が地球上で最も猛毒だと言っていて、変人だと思われています(笑)。例えば人類が生み出した、人にとっては有益な物質が自然の環境に対して悪影響を及ぼしているものも数多くあります。しかもそれが人類の生活に貢献したと評価されて世界的な賞を受賞したりしている。虫たちや自然にとっては猛毒でしかないものなのに。

―人類の多様性だけでなく生物としての多様性で考えるのですね。

 

佐藤:私自身はそういった研究をしているわけではありません。ただニュースや自然番組を見たり、虫友達の話を聞くだけでもそういう想像ができるわけです。しかし「人類は猛毒」と言うと変人扱いされてしまう。

富野:佐藤さんは「きちんと物事を見ていく」ことができるからそう感じられると思います。しかし同時に、この感性を育てる教育がされていない、という問題があるんですよ。それが教育の一番根本的な部分のはずなのに、今は子供たちにコンピューターを配って教育ができている気になっている。
佐藤さんが石を触って削っているだけで地球が今置かれている状態を感じ取れるのに、ネット上に溢れている文章をどれだけ読んでもそれを見つけ出すのが難しいです。佐藤さんが感じ取ったことを具体的に短い文章でパッと言うことは難しいから、佐藤さんは作品を通してそれを伝えている。芸術家は作品を用い、言語を介さないで世界中の人たちにメッセージを伝えます。しかしただ作品だけ見てそのメッセージが読み取れますか?だから読み取るための鑑識眼を育てていかないといけないし、そういう教育をしていかなければならないんですよ。
「きちんと物事を見ていく」、つまり「直視する」能力を身につけていかなければならないのだけど「直視する」という以外に、それを説明することができません。今は論破という言葉が流行っていますが、物事を直視できない人が百万語の言葉を羅列して相手の意見を論破しようとしています。しかしそれをやっている間に地球は滅ぶでしょう。今必要なのは芸術家や、地球からのメッセージを感じ取り「直視する」力を育てることだと思います。

「子供たちにコンピューターをばらまいてネットから言説をピックアップしているだけで、それが教育なの?」(富野)


―芸術家を政治家にしたらめちゃくちゃになってしまいそうです。

富野:それは20世紀までの考え方に汚染されているからですよ。「全く違うレベルのことを考えられる人を呼んできて政治をやってもらわないとならない」「そういう意識に切り替えないと地球が滅ぶというところに来ているんだ」という言説を広げていかないといけない時代になっているのです。
人はもう1ランクレベルを上げなくてはならないのだけど、今までの延長線上で考えていては絶対に上がれません。延長線を飛び越えるためには芸術家を政治家にするといったレベルの考え方が必要なのです。そしてそれを受け入れられる能力論や感性論を持つこと。それが「ニュータイプ」(註3)だと思います。それが理解できないオールドタイプの人はさっさと後に譲って引っ込むべきです。

(註3 ニュータイプ……『機動戦士ガンダム』に登場する概念。人類が宇宙で生活するようになり、種として進化することで本来持っていた能力を発現した姿、とされる。反対語としてオールドタイプがある)

 

「ミヤマクワガタのトルソを富野さんに評価・購入してもらったことに勇気を得て、3年後に仕上がったのがこの作品です。今思えばミヤマクワガタのトルソは、プロトタイプというべき作品でした。」

作品【ルカヌスのトルソ】2021,黒御影石,樟,モルタル,佐藤正和重孝

 

昆虫の標本の世界では通例脚が取れたもの、オオアゴが折れたものなどは価値が下がるものだが、佐藤は全て揃った完品に限らず、欠損のある標本にも魅力を感じるという。そしてそこに人体彫刻に使われる「トルソ」という概念を当てはめ、彫刻に再現する。これは古代彫刻や化石、骨の標本から得た美感で、割れの美・欠けの美と言っている。

 

佐藤正和重孝ホームページ http://stonebeetle.com