アートは哲学であり生き方。社会的変革の渦中にある現代アートの現在地

南條史生×沓名美和

約13年間に渡って東京・六本木の森美術館館長を務め、キュレーターとして国内外の数々の展覧会に携わるなど、日本の現代アートシーンを牽引してきた南條史生さん。過去に森美術館で開催された「医学と芸術展」(2009)、「宇宙と芸術展」(2016)、「未来と芸術展」(2019)など、新しいアートの領域を提示した展覧会は大きな話題を呼んだ。一方で、日本、中国、韓国で現代美術を学び、二次元派など新たなムーブメントとなる展覧会を国内外で企画してきたのが、キュレーターで現代美術史家の沓名美和さんだ。現在は公私ともにパートナーであり、出会う以前からそれぞれの場所で現代アートの歴史を切り拓いてきた南條さんと沓名さん。そんなふたりが語る現代アートの現在地、そして哲学のようなアートの奥深さとは。

アートの歴史を紡ぎ、領域を広げてきたふたり


 

 

――まずは、100年後を生きる人に向けた自己紹介をお願いします。

 

南條:わかりやすくいえば、アートのキュレーターとアドヴァイザーかな。でも「これが仕事です」と単純化してレッテルを貼られたくはないんですよね。意識としてはまず人間として生きている自分が軸としてあって、その次にアートに関わる仕事をしている気がします。

 

沓名:私はキュレーターやディレクターのお仕事をしつつ、大学教授も兼任しています。ひとことで言うなら、ベンチャーをやっている感覚でしょうか。今どんなアートが出てきていて、アートの文脈がどう変化しているかに興味があるんです。新規事業を立ち上げては、最先端のアートをどう見せるかを考え、発信してきたような感覚があります。

 

南條:でも100年後には、AIがキュレーションする時代が来てるかもしれないね。「こういう展覧会にしたい」って伝えると、「じゃあこれを選んだらどうですか」って答えてくれるの。

 

沓名:未来はそうかもね(笑)。

 

――アートを生業にしているおふたりですが、それぞれお相手の仕事をどう見ていますか?

 

南條:これまで彼女がやってきた二次元派やハイパーアートという概念を元にした展覧会は、これまでなかったアートに言葉を与えて、新しい概念を作るものです。その意味で、たしかにベンチャー企業に似ているのかもしれない。新しい概念は最初は受け入れてもらえないこともありますが、そこから広がって新しい哲学と歴史を作っていくことに繋がるんです。

 

沓名:それで言えば、私にとって南條さんはまさに日本の現代美術史を作ってきた人です。私が美大に入った頃には、すでに南條さんたちが作ってきたアートの文脈がありました。

 

それまで一部の愛好家のものだった展覧会をたくさんの人に接続できるものにしてきたことや、サイエンスやテクノロジーといった分野との掛け合わせでアート自体の領域を広げてきたことも大きいですよね。

 

南條:森美術館で開催した「医学と芸術展」「宇宙と芸術展」「未来と芸術展」の3つの展覧会がその例だよね。そのほかに建築やファッションの展覧会もやったけど。

 

沓名:物腰の柔らかさも含め、いろいろな分野の方と一緒にアートの解釈を見出していくようなバランスの良さは学ぶべきところですし、尊敬しています。美術館館長としてもキュレーターとしても、多方面の方とうまくバランスを取りながらアートを広げてきたと思うので。

 

南條:逆に、彼女には危険を省みずに新たなアートを推進していく力があると思います。彼女が打ち出した二次元派っていうのは、これがアートだと言った途端に一部の専門家から矢が飛んでくるわけだから。コンセプトはあるのかとか、こんなのアートじゃないとかね。でもそこで傷つくことを恐れず、これまでとは違う見方を世の中に問いかけて推進していくのは、おそるおそる生きてる僕にはできなかったです(笑)。

 

沓名:たしかに臆病なところあるもんね(笑)。ふたりともいい意味で価値観が違うので、アートについて話すなかで刺激をもらうことも多いです。

 

アートは本質を見抜く「哲学」でもある

 

――キュレーターとして展覧会の作品をピックアップする際、心がけていることはありますか?

 

南條:展覧会においては、ひとつひとつの作品に役割があるんです。例えば、この作品は展覧会の目玉になるとか、この作品は多くの人が好きだろうとか、これは重要なメッセージを伝えているとかね。その役割に目を配りつつ、形にしていきます。

 

だから好き嫌いで作品を選ぶことはないですね。逆に自分には理解できないし趣味じゃないけど、どうも重要に感じられる作品もあったりして。不思議とそれが結果的に、観客の人気を得ることになったりもするんです(笑)。

 

沓名:私も好き嫌いで選ぶことはありません。完全に自分の好みだけで展覧会をやるなら、きっと二次元派はもっと違うものになっていたでしょう。でも、だからこそ、その作品が社会にどんなインパクトを与えているのか、何十年も先の未来から振り返ったときに重要になってくる作品かなど、好き嫌いとは違う視点で作品を見ることができるんですよね。また、 “外からみた日本らしさ”というのは強く意識しています。これまで韓国、中国、カンボジアなどで活動をしてきて、日本を客観的に評価する視点や、外へ外へと連携を広げてきた経験が強みとして活きているかもしれません。

 

――キュレーターには審美眼が求められるかと思いますが、アートに対する絶対的な感覚というのはあるのでしょうか?

 

南條: 若い頃、美術手帖で展評のコラムを担当していました。毎月100件の展覧会を見て論評を書くんです。他の評者と評価を照らし合わせると、「すごくよかった」という作品と「あれはダメだね」という展示はおよそ一致するんです。しかし、中間の部分の作品は意見にばらつきが出てきます。それを考えると、人間にはある種の共通した評価の感覚があって、それは大多数の人に共通し、普遍的でさえあるということが、確かなことに思えてくる。素晴らしい作品の中には、そうした人間に共通の“なにか”があるんじゃないかと思います。

 

沓名:うんうん。それは私も感じる。

 

南條:その“なにか”があるのだということを信じられないと、アートの仕事はできないんです。

 

――作品には言語化できない“なにか”があると。なんだか哲学的です。

 

南條:実はアート自体が哲学に近いんですよね。アートは、世界に対するビジョン、歴史観、文化のアイデンティティーなどが内容になっている場合が多いし、経済やマーケットの問題まで包括している。世の中のいろいろなものに繋がっていて、我々を取り巻く現実はいかなるものかという問いをもたらしてくれます。それは物事の本質を見抜くきっかけにもなるんです。

 

沓名:たしかに。民主主義や資本主義について改めて考えさせられる作品もあれば、未来を想像して作られた作品もあって、提案としてすごく面白いんですよ。

 

南條:新たな発見に出会うこともありますよね。たとえば2009年に森美術館でやった「医学と芸術展」では、組織培養によって革のジャケットを作るという実験的な作品を展示しました。それは人間の体細胞にも応用できる技術ですから、人間の病気やけがを治癒するための医学とも繋がっています。バイオテクノロジーの持つ、多様な広がりや意味をアートの表現を通して可視化しているとも言えるでしょう。こういう作品は僕にとっても、驚きを持って見るものとなりました。

 

もし、こうした医学によって寿命が100年200年と延びていくとしたら、そのとき起こるのは、おそらく価値観の根本的な変化なんです。つまり、すぐに死ぬかもしれないから重要だったはずのことが、ずっと生き続けるのなら貴重ではなくなる。それはすごいことですよね。それを可能にする技術はすぐそこにあって「じゃあ自分達はこれからどう生きればいいの?」と問いかけているんですよ。

 

続きは2024年6月に発刊予定の雑誌本編をご覧ください。

 

南條史生(なんじょう・ふみお)

1949年東京生まれ。1972年慶應義塾大学経済学部、1976年文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。国際交流基金等を経て2002年より森美術館開館に参画、2006年から2019年まで館長、2020年より同館特別顧問、2020年より十和田市現代美術館総合アドバイザー、弘前れんが倉庫美術館特別館長補佐、2023年よりアーツ前橋特別館長等を歴任。国際的な実績としてヴェネチア・ビエンナーレ(1997年)日本館コミッショナー、横浜トリエンナーレ2001アーティスティック・ディレクター、ヴェネチア・ビエンナーレ(2005年)金獅子賞国別展示審査員、シンガポールビエンナーレ(2006年/2008年)アーティスティック・ディレクター等。著書に『疾走するアジア』(2010年)『アートを生きる』(2012年)等がある

沓名美和(くつな・みわ)

1981年愛知県生まれ。多摩美術大学を卒業後、東アジアの美術をより深く学びたいと韓国、中国に留学。 中国清華大学にて博士号を取得し、現在はキュレーター、アートディレクター、現代美術史家として幅広く活躍。多摩美術大学客員教授、魯迅美術学院現代美術学科教授、清華大学日本研究所訪問学者としても活動し、清華大学日本研究所では東アジア文化芸術の専門家として外交行事にも携わる。過去には富士吉田市「織と気配」(2021年)、中国上海のPower longMuseum(2022年)などでキュレーションを担う