裏彩色という古典技法で微細な精神性を描く日本画家・宮廻正明氏は、国内・海外で高い認知度を誇る。しかし、彼を表す代名詞は「日本画家」だけではない。彼は、最先端技術と芸術家の技巧を融合させて「クローン文化財」を製作する、ベンチャー企業の代表取締役という顔も持つ。
取材に訪れた宮廻氏のアトリエは、描きかけの絵画、貴重な美術品や珍品、そして世界中から集めた鉱物が散りばめられたおもちゃ箱のようだった。
宮廻氏が語る、自らの原点、独自の芸術論、そして100年後も続く芸術の精神性。膨大な知識の蓄積が作り出す色鮮やかな発想が、反物を広げるように目の前で繰り広げられる
宮廻正明1951年島根県松江市生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科、同大学院修士課程修了後、非常勤助手となり、平山郁夫に師事。その後、2000年に同大学教授、2018年に退官。現在は名誉教授。院展では外務大臣賞、文部大臣賞、内閣総理大臣賞など受賞歴も多数。
2018年には文化財の遺伝子を受け継ぐことを目的に株式会社IKIを設立、クローン文化財、スーパークローン文化財などの制作に挑む。
ー宮廻先生は、伝統的な日本画家であると同時に、先進的なデジタル技術と伝統技能を融合させて文化財のクローン化にも挑戦されています。発想の原点は、どこにあるのでしょう?
宮廻:近代の哲学者・九鬼周造の「『いき』の構造」という書をご存じですか?相反する2つの要素を同時に自分の中に取り入れる「錯然」という物理学的な概念があります。原点というほど大袈裟なものではありませんが、そこが出発点だといえます。
見えていることと見えていないことを同時に一つの絵の中に埋め込めば、全く新しい世界が存在するのではないかと。
「『いき』の構造」を手に取る宮廻さん
ー一方だけでなく、いろんな角度からの視点を一枚の絵に描く、つまり、ピカソやブラックの「キュビズム」のような発想でしょうか。
宮廻:そのとおりです。たとえば、人は自分が見た方向からのデッサンしか描けません。少しでも見る方角が変わると、見えなかったものを描かなければなりませんから。しかし私は全方位からのスケッチを直感で頭に写し取って、見えない部分と、見えている部分を同時に描けます。つまり、360°の3Dスキャナーが頭の中にあるわけです。
見えているところと見えていないところ、2つの要素を同時に絵に閉じ込めれば、二次元のものを三次元にもできる。じつはクローン文化財という発想も、そこから辿り着いたものでした。
ークローン文化財とは、どういった事業なのでしょうか。今までの複製や復刻とは、どのような点で異なりますか?
宮廻:「クローン文化財」とは、贋作のように本物を撹乱するものではありません。最先端のデジタル技術と芸術家の伝統技法を融合させ、材質や筆跡だけでなく、文化財が内包する当時の人々の芸術性や歴史的背景までを再現する、いわば「文化財のDNA」を受け継ぐ技術です。
この技術は、文部科学省と科学技術振興機構が推進する「センター・オブ・イノベーションプログラム(COI)」の拠点である東京藝術大学で私が開発を進めていたプロジェクトで、その後私が立ち上げたアートベンチャー、株式会社IKIが引き継いでいます。
ーどういった発想から文化財のクローンを作ろうと思い立ったのですか?
宮廻:本来文化財というものは、人類で価値を共有すべき芸術です。しかし、その文化財が貴重であるほど、保存して状態を保つことが重要になります。時間が経つほど自然環境による風化が進み、劣化や欠損が生じやすくなる。価値のある芸術こそ共有すべき人類の財産なのに、後世に残すためには非公開で厳重に保存しなければなりません。
そこに矛盾が生じます。「本物」という物質の価値を上げようとするほど持ち出しが難しくなり、世界中で共有されるべき文化・芸術が門外不出になってしまうわけです。
そこで我々が考えたのが、文化財のクローンを作るという発想です。このプロジェクトとして作成したのが、国宝・釈迦三尊像のクローンです。ご存じの通り、釈迦三尊像は法隆寺の金堂に保存され、門外不出とされています。私たちのチームはその金堂内に機材を持ち込み、3D計測や高精細写真の撮影などを行いました。情報をパソコンに取り込み、カメラが入り込めなかった部分は彫刻家の推測によって成形して3Dプリンターで型を作る。それをもとに芸術家が当時の素材、質感まで再現するのです。
ーまさに、最先端技術と芸術家の感性・技術の融合ですね。
宮廻:九鬼周造の書の話に戻りますが、ものごとには二つの極があります。人は一方をもつと、一方は成り立たなくなると考えがちです。しかし、二つの極を同時に自分のなかに取り入れることが可能になれば、相反するものでも同時に存在させられます。これが「錯然」という概念です。
クローン文化財は、まさに伝統とデジタル、二つの極を同時に存在させる「錯然」です。
現在はそれを一歩進め、欠損や劣化を補完し、過去の状況を再現する「スーパークローン文化財」、制作当時、表現したかったが技術的に不可能だったと考えられる本質を、現代科学技術で再現した「ハイパー文化財」の開発も進めています。
ー先生は東京藝術大学時代、日本画家の大家である平山郁夫先生の下で学ばれたと伺いましたが、どのような影響を受けましたか?
宮廻:平山先生の最大の教えは、「自分の後ろには草 1本生えない」ということでした。つまり、先生の真似をしていてもチャンスはないと。自分で盗み、咀嚼して、自分の描き方を考えろというわけです。ですから、私は一度も先生から絵の描き方について指導されたことはありません。
ーすべて見て学んだのですね。
宮廻:常に先生のスケッチについて回って、先生がどう描くかを後ろから見ていました。先生は何一つ言葉で教えてくれません。教わったものは真似になるから、そこから抜けきれない。しかし、盗んだものは身につくという考え方なのです。
平山郁夫という画家は、指導者としても一級品でした。だいたい画家の弟子は、師匠と似たような絵を描いています。しかし、平山先生の弟子は誰一人、先生と同じ絵を描いている者はいませんから。
ー宮廻先生流の、「自分だけの描き方」とは?
宮廻:私は「裏彩色」という方法で、日本画を描きます。薄い絹や紙の裏から色を付けるのです。実はこの方法は、日本人の「うら」という美意識から生まれました。平安時代、中国から伝わった仏画を、日本人は裏から採色する技法を多く使うようになりました。
「うら」という日本語が、「精神性」を示すことをご存じですか?広辞苑でうらと調べると、一番先に「心」という漢字が出てきます。日本語では、心をうらと読ませるのです。
ーうらに、心という意味があるのですか?
宮廻:つまり、表が表面だとすると、裏は精神性を表します。茶道の世界には、表千家、裏千家があります。裏千家は、「精神でお茶をたてる」という意味があるのではないでしょうか。
ですから、「裏彩色」で色を付けることには、絵の中に精神性を存在させるという意味もあります。要するに、自分の精神世界が絵の中に存在させられるというわけです。