「先端技術も未来の古典。100年なんてわけもない」

版画家 小林敬生×みぞえ画廊 阿部和宣 対談

ヒトの身の丈を超える大画面、その細部に至るまで精緻に描き込まれた世界、圧倒的な奥行きで森羅万象を表現する版画家の小林敬生さん。小林さんは、木口(こぐち)木版画(黄楊や椿など生育が遅く密度の高い材質の樹木を輪切りにして銅版専用のビュランと呼ばれる鑿で彫る版画)の大型化に成功して以来、多摩美術大学教授として教鞭をとりながら独特の世界観で作品を遺し続けてきた。

 

今回は、「先端技術も未来の古典。あと100年なんてわけもない」と語る小林さんと、若手アーティストから国内外の巨匠の作品まで、珠玉のこだわり作品だけを取り扱う画廊『みぞえ画廊』の専務取締役である阿部和さんの対談。阿部さんが「衝撃的」と評する版画家・小林さんの稀有な作風を生んだ源流を遡りながら、100年後に遺る・遺すものをテーマに、過去と未来を繋ぐ「今」について語っていただいた。

小林 敬生

版画家。 極薄で半透明の雁皮紙に、木口木版で作成した精密な複数の版木を組み合わせた空間表現が特徴。「鏡貼り」の手法等を駆使することにより、書籍の挿絵や絵本の印刷に用いられていた「木口木版」の概念を変える美術作品としての大型化を実現した。

阿部 和宣

福岡市と東京は田園調布を拠点にアートビジネスを展開する画廊『みぞえ画廊』の専務取締役。一般社団法人アートフェアアジア福岡代表理事。

 

THE RACEの装丁も小林さんの作品『宙(そら)へ…或いは蘇生』を活用している。小林さんが表現する空間世界は細部に至るまで極めて精緻に描きこまれている。作品によって、文明と自然が共生する舞台は異なるが、ひとたび、その幻想的な世界をのぞき込めば、どの異空間のなかにも、ヒトではない生き物が描き込まれていることに気づく。まるで鳥や魚、虫や動植物たちの息吹が聞こえてくるようだ。

 

生きとし生ける者の立場に立った優しさ(エンパシー)がそこには広がっており、作品からヒトに向けられた眼差しと覗き込む者の眼差しが交錯することで、同時にヒトの不在が強調されていく。小林さんの作品は、覗き込む者の心の中に無数の波紋を広げていく。

 

 

版画の虚実、画商との共犯

 

阿部:はじめてお会いしたのは、2013年の『銀杏の会』のときですよね。

小林:そうですね。銅版画のパイオニアである駒井哲郎先生を偲ぶ銀杏忌から発展した『銀杏の会』として、「美術の庭」展という展覧会を開催することになり、駒井先生の教え子の一人がみぞえ画廊に会場提供をお願いしたのが始まりです。

阿部:展覧会で小林先生の作品を生で見たときは衝撃を受けましたね。その後は、みぞえ画廊の福岡店で小林敬生展を開催していただきました。


小林:阿部さんが僕の昔の作品をオークションで落札して所蔵していると聞いて、ずいぶん変な人だと思いました。何百万、何千万という油絵を扱っている人が、ほとんど利益が出ない僕の版画を買うということは、よほど好きなのだろうと正直嬉しかったです。

阿部:作品は作家を映す鏡と考えると、先生の作品からは妥協を許さない姿勢がひしひしと伝わってくるのです。「ここまでやるか」というか。それほどインパクトを与える作品を生み出した作家と実際に会うことができるのは画廊の特権です。

小林:僕たち作家にとって画商はいわば共犯者です。一歩間違えば紙くずになりかねないものを売るのは
犯罪のようなものだから(笑)。同時に共犯者としての信頼関係がなければ…ね。

 

阿部:作家と画商はセットで語られることが多いですよね。天才ピカソも画商のヴォラールに見出されています。

小林:版画は“版”という介在者の存在が重要な意味を持っていて、僕にとっては“版”もまた大切な共犯者です。

 

版画は下絵があって版木があります。下絵を裏返して版木に彫っていくプロセスを経て彫り上がった版木を摺った時、下絵で描いた実像になるのですが、時間をかけて彫り上げた版木もまた実像のように見えるのです。版画に於ける実像は彫られた版木なのか、摺り上がった絵の上にあるのか、自分でも判断がつきかねる事があります。更に鏡貼りにするとどちらが表でどちらが裏なのか、虚と実が表裏一体でその境界線を行き来しているところが何とも言えず面白いのです。

 

僕は子どもの頃から飽き性で不器用。でも版画はなかなかうまくいかないから飽きない。ちょっと油断すると失敗する。版木は高価だから失敗できないので、何とか失敗を誤魔化そうとするから腕も上がるし、試行錯誤する中から思いがけないものが出てくる事がある。若い人を見ていても、器用なタイプより、不器用な人が一生懸命にもがく方が良いものが生まれる気がします。

 

※鏡貼り:極薄の雁皮紙に表から摺った作品と裏から摺った作品をシンメトリーに裏打ちすることを言う。鏡面のように見えることから鏡貼りと呼ばれる。