深遠な思考の痕跡が思想となり、時代の変遷を超えて遺る

鼎談 陶芸家 中村康平×堀貴春×白井渚

ニューヨーク・メトロポリタン美術館に収蔵されるほどの前衛的な作風から、利休の茶陶の写しへと転じて話題となった世界的造形作家・中村康平。今回は、伝統工芸のまち・金沢を拠点として活動する中村康平と、次世代を担う2人の若き陶芸家・堀貴春、白井渚の鼎談。「土」という素材を使いながらも、その作風は三者三様。近年、日本特有の美意識に「未来の古典」の潮流を見出し、「茶陶」「甲冑」の世界を究める中村氏、昆虫をモチーフにした造形美を白磁の世界観で追求する堀氏、緩やかな曲線とシンプルな形状の器で注目される白井氏。それぞれの歩んできた道とその変遷をたどりつつ、今後、自らと工芸界がどのように変わっていくのか、現代人が未来に遺すべきものについてお話を伺った。

中村 康平

昭和を代表する九谷焼の名工・中村梅山の三男として生まれる。多摩美術大学彫刻科を卒業後、陶芸現代美術の旗手として活躍。独創的なオブジェが世界的に高い評価を受け、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されるなど話題を集めた。近年では稀代の現代茶人であった故林屋晴三氏に見出され、日本人特有の美意識「侘び」を求め、「写し」から始まる茶碗づくりに打ち込み、思考や概念を映し出す「思考する器」を提唱。「概念芸術」の領域で伝統と現代を調和させる造形作家。収蔵:ニューヨークメトロポリタンミュージアム、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、野村美術館、金沢21世紀美術館 他。

堀 貴春

1996年東京生まれ。美術系の高校を卒業後、素材としての「土」に惹かれ、瀬戸窯業高等学校専攻科から金沢卯辰山工芸工房へ。修了後も金沢にアトリエを設立。幼い頃から好きだった「昆虫」をテーマに、その造形美を白磁の持つ繊細な陰影で際立たせる作品に取り組む。2018年第74回金沢市工芸展「金沢市長最優秀賞」、2019年テーブルウェア大賞「大賞・経済産業大臣賞」他を受賞。

白井 渚

1991年栃木生まれ。高校卒業後は一般企業に就職するが、陶芸への想いが高まり瀬戸窯業高校専攻科へ進む。修了後、瀬戸市新世紀工芸館で学び、金沢卯辰山工芸工房へ。金沢で創作活動に励む。2019年に堀貴春氏と結婚。白と黒の濃淡が墨絵のように美しい、洗練された流線形のフォルムの器が注目を集める。最近では、「かたかな」を生活の中にある物に溢れるように貼り付けた「かたかなシリーズ」にも取り組んでいる。2018年テーブルウェア大賞入選、2018年そば猪口アート公募展準大賞他を受賞。

 

前衛アートから茶碗へ 金沢が育む時空を超える世界観

装飾を極限まで削ぎ、精神性を重んじる「侘び茶」を大成した千利休。極めて抽象度の高い美的感覚を茶室や茶碗など日常の具象に落とし込むそのプロデュース手腕は、「世界最初のクリエイティブディレクター」とも称される前衛さがあった。長次郎作「黒楽茶碗」は利休の侘び茶の思想の具現とされる代表作だ。今回話を伺う3人の陶芸家の拠点・金沢では、利休が追求した茶陶の流れを汲む「大樋焼」「九谷焼」など伝統的な「焼きもの」が、先進性を受け容れながら、連綿と受け継がれてきた。

 

金沢で伝統文化が育まれ継承されてきたのは、江戸時代この地を治めた加賀藩・前田家の影響が大きい。利休に師事した前田家は、武士だけでなく庶民にも茶道や能楽を奨励。そのための道具や調度を作る職人には惜しみなく援助し、優れた技術が集まった。京都から招かれた大樋長左衛門は、大樋窯を築いて楽焼の技術を伝え、後藤才次郎は藩命で有田に赴き製陶法を学び、古九谷窯を開いた。九谷焼中興の祖といわれる九谷庄三は、西洋から伝わった顔料をいち早く取り入れ「彩色金襴手」を確立する。金沢には、江戸時代初期から文化を育む土台があり、その気風は今も息づいている。

 

そのひとつが金沢卯辰山工芸工房。歴代藩主の美術工芸振興策で、質の高い象嵌や蒔絵などの工芸品を生み出した加賀藩御細工所。その精神を基盤に若い工芸家の育成に力を入れている卯辰山は、3人の接点でもある。堀さん、白井さんはここで学び、堀さんは世界で活躍する中村氏から直接指導を受けたという。

思考を繰り返し、ひたすらに、器に思想を練り込む。その円環に閉じられた世界の先に行きつく、孤高の境地に触れたい。そうした若い陶芸家の想いが垣間見えるインタビューとなった。

 

――中村さんは、もともと現代オブジェ作家としてNYなど海外で活躍されていたのに、それをスパッと辞めて茶陶の世界に入った。茶碗って、ざっと作ったように見えるものでも、実は緻密に作り込まれ、表現していますよね。アバンギャルドな世界に身を置いていた人が、なぜそういう「繊細さ」のようなところに行かれたのでしょう。

中村:それは僕の思想。僕は『概念』の作家で、理論から入っていくんです。茶碗を作り始めたのは、感覚ではなく、この時代を見越してきた結果です。「我々は西洋ナイズして日本美術を見落としてきた。だからもう一度再考する時代がくるだろう」と。僕は茶碗を『思考の器』と命名しています。茶碗には思想が込められている。お茶道具は言葉に溢れています。

20年前に現代美術の画廊でその茶道具と言語の関係をテーマにした「注釈としての工芸」展を開きました。言葉を施した棗(なつめ)や仕覆(しふく)などを展示したのですが、やはり難解な作品であったために工芸界では全く理解されませんでしたね。でも20年たった昨年に三越コンテンポラリギャラリーから誘いがあってその時の作品が再展示されたんですよ。「康平さんはやることが10年20年早いよね」って言われたりします。今は若い人も「茶碗は日本の文化」という気持ちでいる時代ですが、僕がオブジェから茶碗に転向した時には周りの作家は不思議に感じたようでした。この10年、20年の間に社会の価値観が大きく変わってきたと実感します。

 

時代の潮流を掴め 転換期を迎えた日本の工芸 今こそ古典から学ぶとき

中村:金沢21世紀美術館の館長が、「歴史に学ぶ」と言い始めていますよね。今、日本美術が大きく日本に回帰している。僕は「写し」にも力を入れているわけですが、それは茶碗の世界ではレベルが低いという見方をされる。しかし、今、そのパラダイムが覆ろうとしている。「写し」というのは「真似ぶ」ものなのだと。真似ることで、その作品に込められた深さ、質の高いインスピレーションが得られる。そもそも自由な表現というものは、ヨーロッパの歴史から来たもの。一方、日本の歴史をみると「自由な表現」をあまり追求されていませんが、「実は古典から新しいものを生み出すほうがかっこいい」という価値観をつくろうと僕はスタートした。若い子がキャンパスに向かって自由な主観だけで描くのに限界が見え始めている。「歴史に学ぶ自由」を、もう一度唱え始めたいわけだよね。

――古典を「写す」のも、そこに凝縮された本質を汲み、革新的なものを生み出すために、自分の作品性を込めて創作していく、ということですか?

中村:そうです。だからいわゆる「写し」というものとは違うのです。僕は茶碗を「思考の器」、写しを「引用」と表現している。写しには概念的表現の要素がある。自由な感覚の思いつきの世界は、最初は面白いれども、浅いもので、いずれ飽きられる。今、僕は、「現代の古典」という言葉を作っていて、古典感覚を現代にもう一度、新鮮な感覚として捉え直したい。自由な状態の中で、より良いものを求めるときに、古典は役立つひとつのツール。古典には、「歴史は積み重なっている」という深さがあり、そこに込められてきた思想の多層性が見えてくる。特に茶碗には、それがある。そこを観る。外観を通して、作品に重ねられている思想を汲み取る。それを現代に生かす。過去を利用して現代を反省すると言うのかな。

――100年を超えて遺るものを生み出すには、「思想」がより重要になってくるように思います。皆さんは、後世にどのような思想の足跡を残していきたいとお考えですか?

堀:それは今、まさに自分自身に問いかけているテーマです。僕の現時点での作品は、自己満足で作っている部分が大きい。「誰にも真似できない技術的なもの」を追求しているので。けれど、僕が2年後につくる作品は、きっとそこじゃない。「かっこいい」と言われて嬉しい自分を、10年後の僕は多分「恥ずかしい」と思っていると思う。今、自分は大きく変わろうとしているので。でも「100年前の作品なのにめちゃめちゃ未来的だね」って言ってもらえると嬉しいとは思ってますね。

 

中村:それはあるよね。未来感覚という狙いは当たっているよ。面白い題材になると思う。100年後というのは、今の新しいものとつながっているので。2人は、数年後に自分の作風はどうなっていると思う?